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超越論的大人

category: ◆essay

超越論的なレベルで「子どもに対する大人」をどう確保するか。日本語社会において(現代)思想的な課題があるとすれば、もうこのことに尽きる、と思う。

確信の根拠が何かと問われれば、社会学が大人の学問になりきってないからだ。良心的で敬意を払うに値する(しそうな)社会学者ほど、良い意味で子どもなのだ。

社会学者でもないくせに、と言われることを承知の上で言う。

「社会」なるものを(友人や家族とのおしゃべりや酒の勢いを借りた説教も含めて)有意義に語れる限りにおいてその人が「社会学者」であると言える水準があるとすれば、僕もまた立派な社会学者だ。そして、上で書いたようなことは、その水準に立った上でこそ痛切に感じるわけ。「アタマノイイヒト」になろうとすればするほど、「オトナ」になれないというこの矛盾。

否。

たぶん、そんな矛盾自体はおよそ「社会」とか「世の中」なるものが成立し始めた大昔からあったはずなのだ。

問題なのは、ある一線越えたときに「アタマガワルイ」人ほど「オトナ」として救済されてしまう(そして「アタマガワルイ」振りをすることが至上の賢さの表現になってしまう)この閉塞感なんだ、と思う。

敢えて言う。

頭のいい人、賢い人は、絶対にこのことに感付いている。そんでもって、自分の利益になる範囲で、そのことに気付かない振りをしたり(優等生的発言にオチを付けるという選択肢を含む)、さもありなんと首を縦に振ったりしている。それを出来ていないとすれば、少なくともその人は「社会学的には」頭のいい人じゃない。この主張は、トートロジカルだからこそ、今のこの日本語社会における「社会学」の本質を言い当てられてるはずだ、と僕は思う。

(日本語に限定しているのは、単なる自己中心的なワキマヘ。だって、それ以外の言語圏で、生身で生きたことがないもん。で、ここで書いていることは、たとえ日本語の社会に限定したとしても、それなりに日本語の社会を越えて思想的意味を持つ主張内容だとは思う。)

茂Gさんが子どもの素朴さでもって「学問の快楽」の本質を純朴に語る一方で、M台さんが「インチキ」を間接話法的に自称する辺りに、僕は日本語圏の社会の思想的課題を感じます。

結局身振りでは嗤っているのであるなら、この辺をこそ嗤ってほしい。キレてる社会学者さんには。

僕にとっては社会学者の書くものと週刊ポストと夕刊フジって、とても似ている。いずれも、一方ではキワキワに携わっていると自負していながら、決してどうしても社会に受け入れられない最後の一線は商売上決して踏み越さないという美しさ(=強さ)において。

・・・今日のBGM・・・
 あの娘は雨女/たま

2007/06/22 23:59 Fri | edit? | trackback(0) | comment(0)


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geophile
フリーランスの地理学者です。ひとり家庭教師派遣業のほか、NPOやコミュニティビジネスをターゲットに、ひとり人材派遣業もやってます。

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