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モノの喩え

category: ◆diary

原子力や素粒子のことを考えるとき、原子や中性子や陽子、電子などなどを、僕は暗黙の内に「粒」として捉えている。素粒子がまさに「粒」という字で表されていることを疑問もなく受け入れていることからも、それは明らかである。

そんじゃ、粒って何か。モノである。しかも、ソリッドなモノである。或るカタマリである。つまり、液体や気体ではなく固体である。知らず知らずのうちに僕は、原子や中性子や陽子や電子なんかを、ソリッドなモノである粒として認識して、その上で原子力や放射線や素粒子、核融合などなどに関する現象を理解しようと足掻いているわけだ。なんたって、米が立つって書くんだからねぇ。ソリッドなモノ以外の何ものでもない。水や空気は立たんもん。

だいたい、これまでの半生で、原子や核子なんかを図に書いてみるときには、まちがいなくその粒々たちを「○」でもって表してきたわけです(その他のモノでも固まるもんは閉域で描く傾向にあるようですね。そういや「固」の字も閉域だな)。で、空気や水を図に書いて表すときに、ふつう「○」は使わない(閉域ではない線で描きたくなる気がします。「川」なんて漢字を思えば、僕だけじゃなくて、はるかに一般的な感覚なんではないか)。

ところで、固体っていうのは何かって言うと、物質を構成している粒々の結合状態の一種(今思いついた僕なりの表現で、物理化学的に適切な表現かどうかは分かりません)。原子や分子がぎっちり密接していてひしめき合っている状態、である。少しゆとりができて粒々が自由に動けるようになってくると、液体になったり気体になったりするわけだ。

あれ、でも、待てよ、と気付いたのは今日の晩のことでした。

そもそも、固体というのが、粒と粒との関係・複数の粒の状態に関する名付けであるのなら、それを構成している単独の要素を、「粒」という固体になぞらえて理解するというのは、カテゴリー・ミステイクじゃないか。

中性子や陽子というもんに関しては、レプトンやクォークや光子なんかに比べりゃそれなりにどういうもんだか分かってるつもりだったけど、その自認もちょいと危ういぞ。だって、その「分かってるつもり」だって、今にしてみれば、なんとなくレプトンやクォークよりは中性子や陽子の方が「モノ」っぽいという理解であったにすぎないから。

実際に、中性子や陽子だって、β崩壊やγ線なんかの話になったりして、レプトンやクォークや光子なんかが絡んでくると、モノとしての「粒」の立場が危うくなって訳が分からなくなってくる。ソリッドな固体になぞらえて理解していることの限界が明らかになってくるわけだ。

そうか、なんで素粒子の話は分かりにくいのか、その理由が個人的に理解できたぞ。それは、ついつい暗黙の内にそいつらを「モノ=固体=粒」として理解しようとしてしまうからだ。

会社や組織を、一人の人間であるかのように捉えるというのは、ごく当たり前に誰でもやるし、社会的にもそういう認識の仕方は市民権を得ていて無くてはならない制度と化している(「法人」てのがまさにそうだ)。でも、それに比べて、一人の人間を会社や組織や社会のようなものと見なすことは、さほど一般的でも当たり前でもない。これまで僕にとって素粒子の話がもう一つ分かりにくかったのは、この、一般的でも当たり前でもない喩えを、ついつい一般的で当たり前であるかのように使ってしまってたからなんじゃないか。

もはや、モノの世界に留まって分かろうとする限りはこの話が分かることはない。この悟りが、僕個人としては「この話が分かる」ための一歩前進である気がします。そう。あいつらはモノではない!粒ではない!(米が立つではなくて、たとえば粥が立つとかいう漢字でもあれば…、さてどうだろう?)

「分かりやすさ」がついつい「モノの世界の常識に留まること」と結びつきがちであるとするならば、いっそのこと、「この話は、誰にでも簡単に分かる話ではありません」とはっきり書いてある入門書にでも出会ってりゃよかったのに、とさえ思います。

『サルには絶対分からない量子力学入門』とか『文系のあなたでは分からない物理学の初歩』とか…。ま、モノの喩えですが。


__________

ついでに、もう一つ。一人の人間の同一性とは会社や集団の同一性のようなものにすぎないという考えが当たり前であるような社会、というのを、ちょっと分かりにくい社会ではあるけれども、想像してみる、ということにも値打ちがあるように思います。クローン技術や人工知能の進展を思うと、僕の想像が追いつくより早く現実になってしまうのかもしれないけど…。

・・・今日のBGM・・・
 夏の記憶/ザ・カスタネッツ

2011/09/01 00:55 Thu | edit? | trackback(0) | comment(4)


Comment

久しぶりに覗いてみました。ご無沙汰してます。

新しい概念や知識(Aとする)を学ぶというのは、やはり難しいのでしょう。
既知の概念や知識(Bとする)に喩えれば、楽に分かった気になるけれど、AとBはそもそも違うからこそAを学ぶことに意味があるわけで、重要なのはAとBの似ているところや違いを認識して、AとB双方の理解を深めることだと思う。

そして、身近にあっても、理解することが非常に難しい問題いうのは、幸か不幸かはさておき、存在するわけで。最近だと放射線が人体に与える影響とかもそうかな。

難しいことを教える・学ぶのは大変だから、そういったこと教育や報道などで扱うときは、デフォルメして誤魔化したり、扱わなかったりするわけだけれど、本当に難しい問題については、せめて難しいというのをはっきりさせ、さらなる情報へのリンクを張るように努力するべきと思う。

科学ってそんなに簡単なものではなく、しかし、長い歴史上の様々な人の努力の結果少しずつ積み上げられ、適用範囲を広げ、信頼性を増してきたわけで。

ああ、何を言いたいかわからなくなったけど、『サルには絶対分からない量子力学入門』とか同意。

もう一つ、私の理解だと、原子を粒と認識できるのは、電子顕微鏡で覗けるあたりのスケールで、原子の構造に着目したらアウト。
そして、個々の原子の状態がマクロな固体・液体などの状態にどう反映しているかという部分を理解するのは非常に難しい。
隣り合っている原子が強く結びついていれば固体で、お互いが離れて自由に動く場合は液体や気体というのは、それこそ小麦粉かき混ぜたりするとなんとなく納得出来るんだけど、じゃあ、ガラスは・・??
なんにせよ、「原子」と一言でいったって様々な面があるわけで、注目している対象を明確にすることが大事。
ろみる URL #WO.8kER. | 2011.09.06 01:13 | edit?
久しぶりのコメントどうも。丁寧に言葉を尽くして議論したいけど、ちょっと時間を要しそうなので、待って下さい。時間を割いたにしては乱暴な返事になるけど考えたことをちょいと。

>原子を粒と認識できるのは、電子顕微鏡で覗けるあたりのスケールで、原子の構造に着目したらアウト

原子の構造に着目したときに、さらにその下位の要素であるバリオンやレプトンやゲージ粒子…という知見が得られるわけだけど、少なくとも日本語では「粒」という字が使われてしまう訳なんですよね。

僕が何か叫びたい気分になったのは、ここのところ。なんで叫びたくなったかというと、自分がそのことに気がついていなかったから。こういうのを、ウィトゲンシュタインから借りたコトバで、「認知の叫び」と私的に名付けておりました。

>ガラスは・・??
ここの部分は、「ガラスは固体のような印象を人に与えるけど、物性としては粘性の高い液体に近い」(こんな言い方で合ってるだろうか)ということを前提にした上で、引き合いに出しているのかと思われる。確かに、霧、ガラス、水飴、超臨界、プラズマなど(「など」?その他もあるんかいな?)、一般的な意味での固体液体気体とはちょいとずれてる様態ってあるわけだけど、そんなことはこの際問題ではない。

問題なのは、原子や分子の粒々、あるいはクォークやレプトンなんかも含め、こういったちっちゃいおっさんどもを理解するための喩えとして、固体液体気体超臨界その他もろもろのいずれを喩えとして使ってもカテゴリーミステイクになる(なぜなら、そのいずれも、それが何ものなのかを説明するために分子や原子レベルの話を下敷きにしなければいけないだろうから)、というこの(思考停止以外に)逃れる術のない完璧な(それ故美しくて強い)矛盾が存在すると言うこと。

こういうことって、「論理」「感覚/知覚」(そして、「感覚質=クオリア」)「理解」というコトバの意味について、あるいは「(何かが)存在(するということ)」がブツとしての固体が知覚されるということ以外において、いったいどのように「成立しうる」のかについて、とっても純度の高くて質の良い哲学的問題をかき立てるのに十分なんだけど…。



Iz URL #Fdlxjvt6 | 2011.09.09 03:54 | edit?
個々の原子や電子の動きなどを扱うスケールだと、波動性があって、粒!って言いきられると違和感が。
また、ガラス(結晶構造のない固体だと思ってた)は、どうやら多くの金属で(合金ならさらに)融けている状態から過冷却すれば得られるらしいのだけれど、「なぜ」そうなるのかがよくわからんというのが私の疑問(そう思うと、なぜ温度を下げると液体が固体になるのかも全くわかってないような)。

まあ、この文脈ではそれはどうでもよいわけで。

自分なりの結論は持っていないので、疑問の羅列になってしまうが、
・「成立しうる」かどうかはさておき、「成立してる」のではないか?
・例えば数学で、、方程式が知覚されているのか?っていうと、ちょっと違う気がする。いや、知覚出来る人は理解が進むのか?理解が進むと知覚出来るのか?
ろみる URL #WO.8kER. | 2011.09.10 06:12 | edit?
・「成立しうる」かどうかはさておき、「成立してる」のではないか?

こちらのコトバが足りなかったですね。成立している、とも言えます。あるいは、成立していないのかもしれないし。

でも、可能性として成立しうるに過ぎないにしても、現に成立してしまっているにしても、「どのようにして?」という疑問は成り立ちます。

方程式を知覚するというのは言葉遣い的に変な気がします。けど、リンゴやコップを知覚するのと、方程式を認識するのとで、脳内で生じている出来事が即物的なレベルでいったいどれほど違うのか。言葉遣いの違和感ほどには、両者に差異はないかも知れない。どうなんだろう。

数学の対象って、リンゴとかコップとかと同じような意味で成立しているって言えるのかな。言えるとしたら、その時に使ってる「存在」っていうコトバはかなり日常的な感覚で使われるそれと同じコトバなんだろうか。
Iz URL #Fdlxjvt6 | 2011.09.10 13:26 | edit?

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フリーランスの地理学者です。ひとり家庭教師派遣業のほか、NPOやコミュニティビジネスをターゲットに、ひとり人材派遣業もやってます。

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