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不安

category: ◆diary

それは無知からやってくる。

そうだよな、やっぱり。

だとすると、何でもかんでも知りたがって、そして実際に知るためにあらゆる努力を惜しまないというのは、とてつもなく大きな不安に駆り立てられてのことなのかもしれない。

・・・今日のBGM・・・
 ロージー/ステンレス
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2011/03/23 23:20 Wed | edit? | trackback(0) | comment(0)



年度の瀬

category: ◆diary

ホウレン草が安くなって、即席麺は売り切れ。愚かなことです。

『フーコーの振り子』も『薔薇の名前』に負けず劣らず面白いです。

4月以降、さてどうなるのやら。

・・・今日のBGM・・・
 ヨイトマケの唄/口石和人

2011/03/22 22:34 Tue | edit? | trackback(0) | comment(0)



備えと憂い

category: ◆diary



去年くらいに、思いつきで始めた高校物理の勉強は、運動方程式の基礎をやったところで一気に先まで飛んで、原子力や素粒子など関心のあるところだけにスポットを当てた形での娯楽学問になってしまいました。

その時に図らずも得た知識があったせいで、原発事故のニュースがずいぶんよく分かる気がします。

原子力発電がそもそもどういう原理を利用していて、そこで排出される放射性物質がなぜどのように人間にとって危険で、だからどのようなリスクヘッジを原発の現場では行っていて、それが今回どのような形で破綻して、そして、だから、どのような対応をすればよいのか。

多少勉強したおかげで、自分に何が分かっていて何が分かっていなかったのか、それがちょっとだけ分かりました。理科教育、科学教育って大事だなぁ、と思いますね。

自分にもまだきちんと分かっていないことの一つが、放射線量の単位(シーベルト)の考え方。

放射線の人体への影響度を測るための尺度で、物理的な放射線吸収量(こちらはグレイという単位)に放射線の種類(α線、β線、γ線)に応じて異なる係数をかけて算出するらしいです(放射線の種類によって影響の大きさが変わるため)。ということは、どうも、シーベルトの数字だけを見ても、物質の種類や放射線の種類(α線、β線、γ線)の別までは分からないということ。ということは、数字だけでは放射性物質に対してどう防護すればいいのか分からないって事なんでしょうかね。同じ数字でも、極端な話、全部α線なら新聞紙一枚で遮断できるけど、全部γ線だったら家に引きこもっても無駄かもしれないし…。

現実には、色んな種類の物質から放射されるいろんな種類の放射線が飛んでくる中でその総計を取っているんだろうと察しますが、実際に、どういう仕組みの機械でどういう観測をしているのかというのは気になります。ヨウ素やセシウムやストロンチウム以外の物質も検出してるんだろうか、とか。

さて、そんな目に見えない世界のこと考えてて、ふと目に見える世界での現実的な備えのことを思い返したら、自宅待機中の非常食バッグの中身をずいぶん長く買い換えていなかったことを思い出しました。慌てて中を見ると、パックのご飯が2005年に臨終…。2006年に臨終した缶詰は、パンパンに膨らんでいて、メルトダウン再臨界寸前。あやうく破裂するところでした。

いやいや、年に一回は買い換えないかんですね。備えた食材で食中毒ってのも間抜けすぎて笑えませんし。

ちなみに、2007年に期限が切れていたレトルトのカレーは、味と香りが飛んで不味くはなっていましたが、お腹はこわしませんでした。けども、ご飯は燻製くさくて食べる気がしなかった…(調理場の上の棚に置いていたので、たぶん、自宅で燻製作った際の煙が染みこんだんでしょう。レンジ用ご飯て密封されてるようでされていないんですね…)。

被災地の方は降雪と寒さで本当に大変と思います。今はまだ僕にできることはほとんどありませんので、まずは我が身を省みて備えるべきを備え、日々の仕事をこつこつと一生懸命にこなしていこうと思います。

・・・今日のBGM・・・
 E.A.D./ハンバートハンバート

2011/03/17 01:16 Thu | edit? | trackback(0) | comment(2)



堺・シドニー

category: ◆diary

夢の話です、当然のことながら。

ちょっとした所用で、急遽一日だけシドニーに行くことになった。飛行機で一時間ほどで到着。次の日に誰かと落ち合うまでは完全フリーなので、とりあえず市街地まで出て宿を取ることに。

空港の地下には、抹茶のチーズケーキが美味しい純喫茶があって(一度行ったことがある気がする…)、そこを抜けると市街地へ出る電車のターミナル(京急の羽田に似ていたような)。

駅で地図を見ると、どうやらシドニーはオーストラリアの北西海岸、スパナの先端みたいな形で入り江を取り囲む小半島が二つ。空港は北の半島にあって、市街地は入り江の中央辺り。ただ、電車で空港から市街地へ出るには、陸続きでは出られず、一度入り江を渡って南の半島を経由しないと行けないようだった(空港と市街地の間にが高い山になっているらしい。なら、なぜここに空港を建設したのだ?)。しかも、入り江を鉄橋で渡るのではなくて、半島から半島へ電車が宙を飛んで渡っていく。さながら銀河鉄道のように。宙に向かって飛んだ列車が放物線を描いてカーブを切りつつ、反対側の半島にある着地点のレールにきれいに吸い込まれていく様は圧巻(着地点には、衝撃を抑えて脱線を防ぐ何やら特殊な装置がついていた。京阪電車が八幡市から木津川と宇治川を渡りきって淀に入っていく辺りの風景に似ていたような)。湾を越えたら、さらに電車を乗りかえて、一時間半ほど。

南側の半島は街の風景は至ってこぎれいで緑が多く(かつて一度だけ訪れたことのあるパースのようだった)、至るところ日本人だらけ。それもそのはずで、もともとこの街は日本の九州にあった堺という街が、街ごとこぞってオーストラリアに移転してきてできた街なのだった。

ここまででもワクワクする展開で、これでさて街中に出て、タウンホールやジョージストリートやキングスクロスなど、かつて一度だけシドニーを訪れたときに行った場所は、今どんな風景になっているのかなどと楽しみにしながら電車で『こち亀』(なぜか18禁)読みながらうとうとしてたら、目が覚めた。

夢の中で、シティーホールやジョージストリートやキングスクロスはどうなってるんだろう、と思い始めた辺りから、どうも夢か眠りからは半分覚めていて、「夢の中のこの堺=シドニーでは、現実世界のシドニーのジョージストリートやキングスクロスはどんな感じになってるのかな」と考えていたような気もします。

現実世界の場所をキマイラ化したような街を夢の中で訪れるのはわりと好きで、そういう日は決まって寝覚めが良くて気分が爽やか。現実世界の見慣れたこの街の風景もちょっと違って見えたりしますね。

・・・今日のBGM・・・
 僕たちのニュー・アトラス/GOMES THE HITMAN

2011/03/08 09:38 Tue | edit? | trackback(0) | comment(0)



方舟ラプソディ

category: ◆essay

自己顕示欲の赴くままに突っ走って突っ走って突っ走りきって、それを周囲も当人も努力の証と盾にとって、後ろに積み重ねてきた屍の山までも全て正当化してしまうかのような、そういう走り方は好きでない。

日の当たるところではええことを言いながら、日陰のミクロではひどいことばっかりやっている。それでいて実際の所は本当にやりたいことが出来ているわけでもなくって、その不満を「多数に支持される気持ちよさ」で慰めているだけだったりする。

この循環が一度加速しだしたら、どうやら、簡単には止まれないんだろう。あれよあれよという間にどんどん巻き込まれていって、まるで何か悪魔でも取り憑いたかのようにあっという間に遠くの世界へ飛んでいってしまった人を、何人か知っている。

人は、黒いところへ、人がたくさん集まって真っ黒になっているところへ、吸い寄せられていくんだよな。

自己顕示欲の赴くままに突っ走って突っ走って突っ走りきる。

「俺についてこい」

「私についておいで」

ついていった先にあるのは方舟というよりは狂信者のジャガノートだ。

常に我が身が批判される状況に、それも直接に批判される状況に身を委ねる勇気。すなわち、自分で自分の悪さが痛感されているときに、自分の良さを好意や愛情とは別の動機から適切に指摘してくれる人のそばにいること。そして、自分で自分の良さがよく見えているときには、自分の悪さを悪意や利己的な動機とは無関係に指摘してくれる人の隣に身を置くこと。

「調和」や「共感」ばかりが美徳化されているが、もうちょっと「批判」ということの正しい意味の方をきちんと救済して美徳化する文化をこつこつ積み上げていく方が、よっぽど健全だ、と思います。そんな努力が虚しく困難に見えるとしたら、それは、この社会が哲学を高等教育や専門学術研究に閉じ込めていることの弊害なのかもな、という気もしますが。

まあ、「この社会が~」なんていわなくても、少なくとも僕の周囲には、有り難いことに良き批判者がたくさんいて下さってくれてますので、それで満足としていれば良いんでしょうね。自分に恵まれている環境を他の人たち(=社会)みんなにも、ってのもまた自己顕示欲から出てくる発想ではあるから。あとは、自分が誰かの良き批判者でいられるよう精進するくらいなもんで。

・・・今日のBGM・・・
 天井/ハンバートハンバート

2011/03/07 23:51 Mon | edit? | trackback(0) | comment(2)



書くことと問うこと~『薔薇の名前』読了

category: ◆diary

『薔薇の名前』、昨日の夜から今日にかけて、一気に読み終えた。セヴェリーノが殺された辺りから、一気に物語が加速した感じ(これ書いてもネタバレ、ではないよな。上巻の小見出し見たら殺されるのはすぐに分かるので)。

以前までは、自分の書くものに何か活かさねばというような強迫観念がちょっとだけあって、純粋に読む楽しみだけを味わうことができなかったのだけど、今は「書くことに繋がらなければ学問ではない」みたいな固定観念から解放されたところがあるので、本当に読むのが楽しかった。

それでも書きたいという気持ちを失ったわけではないけど、書くヒントは執拗に追い求めれば追い求めるほど視界からすり抜けていくものなのかも、という気もします。読むもの聞くもの食べるもの…なんでも味わい尽くした後に、きっとふと頭に降ってきたりするものなんだろう。

そして、良く思い出してみたら、これまでだってそうだったんだよな。

他方で、自分自身の学問的な問いの方は、常に問う習慣をつけておかないと問うきっかけすら思い出せなくなってしまうわけで、日常的に論文や発表など学問的な文章を書かなくなって久しい身分の僕にとっては、これが結構重要な日課ではあります。常に生きた問いを持っていることの方が、問いを失っているのに書き続けることよりも、はるかに学問的には尊いことであると思います。

書き続けようとすること、それによって己の知り得たことを残そうとすること、つまりアドソの手記を支えた欲求ではあるのですが、それは結局書かれたものを独占しようとすること、書かれたものを隠蔽しようとすること、そういう(ホルヘ的)欲求が存在することによってこそ、支えられている。この連環には何かしら、忌避したい黒さのようなものを感じてしまう。そこから自由になって、知りたいことだけを問うてみたい。

今は、「書きたい」「残したい」という欲求とは切り離して、「知りたい」という欲求に向き合う方法というのが、見つけられるんではないかと思う日々。さしあたってヒントになるのは、もちろんバスカヴィルのウィリアムの姿勢なんですが、以前にも書いたかな、イーガン『ディアスポラ』のヤチマも一つの参照点になると思ってます。

自分でも自覚できるくらいに肥大した「書きたい」に動かされて書いたものは、やっぱり何か濁るし淀むし不自然なんだよね。イカ天のたまの「待ち合わせ」を聞いて、大島渚さんが、「良い作品は突然そこにポンと存在していて、どうやって造られたののかとかプロセスを感じさせないものなんだ」みたいなことを言ってたっけな。

けど、文章だけでなく、それ以前の「生きた問い」とやらも、実は同じなんだろうな。ある日突然頭上にポンとやってくる。問いたい欲求もまた、それが自分に自覚できている内は、良い問いには出会えないんだろう。知りたい、という欲求もまた無垢ではありえないんだよな。そりゃそうだ。知ったことは通常忘れたくないと思うだろうし、だからこそ、その欲求が源泉となって書いて残すという営みを人類は発明したわけだ。

そんなわけで、知りたいと願い、問いを立て、問うことを通じて知ったことを、文章に記すというのではなく、自らの身体的実践、行動に記す、あるいは日々の生活の中で体動かしてやっていることの中に反映させるということによって残していくということを、一つ学者としての使命として自認しながらやっていけないかなと思ってます。

地名や場所にまつわる問いを書き残すために生きるのではなくて、地名や場所にまつわる問いそのものであるような生を生きること。

_______

ところで、下巻の末尾の方のウィリアムとアドソのやりとりの中に、アドソの故国の神秘主義者がどこかで書いていたとかいう梯子のたとえ話が出てくるのですが、このくだり読んで思わず「あ、あの人のことだ」と思って心がニヤリとしてしまった僕は、結局「書きたい」「残したい」欲求からは自由にはなれそうにもないんだろうな、ということを、ふと思いつきました。

「心がニヤリ」の部分に、ヴェナンツィオやベレンガーリオやベンチョやホルヘに宿った悪魔が巣くうんだよな(そうか、ホルヘとはエーコのことだったのか!などと嘯いてみる)。

だとしたら、どうするか。ま、こうやって無名の読者に懺悔してる訳ですが、結局、僕がそこから逃れたいと思った知の歴史を再生産してきたサイクルそのものなんだよね、この懺悔っていうのは。

う~ん、もうこうなったら、酒飲んで自分の欲深さ笑い飛ばして、疲れて寝て起きたら公園でサッカーでもして遊ぶしかないよな。(我ながら、良い解決策だな、と自画自賛)

・・・今日のBGM・・・
 春雨道中/MAMALAID RAG

2011/03/03 00:49 Thu | edit? | trackback(0) | comment(0)






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geophile
フリーランスの地理学者です。ひとり家庭教師派遣業のほか、NPOやコミュニティビジネスをターゲットに、ひとり人材派遣業もやってます。

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