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再来日?

category: ◆diary

どっかのスポーツ新聞の一枚目?で松坂の背中に「DUNKIN' DONUTS」の文字が。見出しに「CM」とか「出演」とかいう字が躍ってた。

もしかして・・・・ダンキン日本に復活してくれるかな?そうだと嬉しいのだけど。

昼寝して体しっかり休めた。今から出発。帰りは明朝。

・・・今日のBGM・・・
 ウサギ小屋の住人/レピッシュ
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2006/12/31 14:53 Sun | edit? | trackback(0) | comment(0)



コミュニケーションのカイロプラクティック

category: ◆works

今年の後半は、ニーチェとかウィトゲンシュタインとか西田幾多郎とか、これまで読んだこと無いような本を読み込みすぎたせいか、とくに最近コミュニケーションに困難を覚えることが多くて、自閉気味です。何気ない挨拶をいちいち深読みしてしまったり。親しい人と話しているときでさえ、顔がこわばっているのを感じる。

それでも今日は、久々にcocoroomカフェに入って、考え込む暇もなく次々仕事が入るもんだから、とても良いリハビリになった感じ。

言葉尻を捉えていじくり回して遊ぶのが好きな僕は、ちょっとリズムや間が狂うと、それゆえに他人と円滑で無難なコミュニケーションを取るのが本当にストレスフルに感じられてしまう。どういう間の取り方をやったら比較的ストレスが少なくてすむのかとか、どういう踏み込み方をしたら不必要に傷ついてしまうのかとか、そういった諸々のコミュニケーションの実践感覚が失われてしまう。

cocoroomは、僕にとってそういう実践感覚を取り戻すのにとてもおあつらえ向きな場所だ。

大学の研究室とか学会も、もちろんとても居心地の良い場だったのだけど、そこはあまりに何か等質な感じが行き渡りすぎていて、長居しすぎたらあまり良くないような感じがするのだ。温くて甘い湯に浸かってる内に不抜けてしまいそうな。

cocoroomとか再生フォーラムとかOGNとかの方がいい具合に雑多な感じで、コミュニケーション力の維持にはいい具合なのだけど、僕にとってのcocoroomという場の力は、その中でも群を抜いているな。コミュニケーションのカイロプラクティックみたいな感じ。行って働いて帰ってくると、それまでコミュニケーションがギクシャクしてたのがさほど気にならなくなって、多少シャキッとしてる、ということが多い。

明日の大晦日は、最後の忘年会。京都の飲み仲間の皆さんと。忘年会の後はそのまま年を越して新年会、松尾大社に初詣である。ここの人たちとの輪は、大学院で京都にいた5年前からのつきあいで、当時鬱と不眠に悩んでたときに友人の取りむすびで縁を頂けたのは、今にして思えば非常に有り難いことだったんだなと思う。僕にとっては、上で書いたようなカイロプラクティックの作用を持った場の一つでもある。

ただ、明日の昼は時間が空いてる。コミュニケーションではなくてフツーに体の方のカイロプラクティックも、どこか開いてる店あれば世話になりたい。今日、久々の立ち仕事で腰がかなり…。

・・・今日のBGM・・・
 PULSAR/Slap Sticks

2006/12/30 23:44 Sat | edit? | trackback(0) | comment(0)



寿司とパンク

category: 未分類

ここのところ、身を持ち崩さんばかりの勢いで寿司食ってる気がする。

昨日の晩、内代からの帰り、長堀の「まゆのあな」で飲もうと思ったら店の直前で自転車のタイヤがパンク。ところが運悪く、「まゆのあな」さんは満席だった。自転車が無事だったら内本町の「蔵朱」まで行って飲めたのに・・・と思いつつも、自転車屋も閉まってるしどうしようもない。(先に「蔵朱」に行くべきだったのかも)。で、結局席が空くまで時間つぶしがてら近くを散策して、「や台すし」というお店を見つけたのでそこで腹ごしらえした。

コハダ・アジ・とびっこが旨かった。名古屋が本社のお店らしく、イカ天とかエビ天とかなす天とかもメニューに並んでる。天むすのノリで握るらしい。

で、「まゆのあな」に戻って一通り飲み食いした後に、パンクした自転車をご厚意で預かってもらい、地下鉄で帰宅。今朝起きて、昼前くらいに自転車を引き取り、すぐ近くで直してもらって、一旦帰宅して、また家を出ようとしたら・・・。

さっき直したはずの後輪が、ぺったんこになっている。

とりあえず見てもらおうと、いつものお店までひーこら自転車押して行ってみると、年末休業。ここで、何か心の中でプチンと音がした。そのままタイヤの凹んだ自転車を押して、近所の寿司屋に直行。昼飯にはあり得ない金額分、たらふく食べてきた。イワシと炙りトロが絶品。赤貝もいっとけば良かったか。

で、店出て空いてる自転車屋で修理してもらって帰宅。今度のは、どうやらパンクではなくて、刺されたらしい。横側に小さな刺し傷らしき穴が空いていたそうだ。

別にさっき直したばっかりのチューブを刺さなくたっていいじゃないの。ついてないとしか言いようがない。

結局、後ろ向きな仕事で半日使ってヘトヘトになった。午後は部屋の掃除しようと思ってたがひどく憂鬱だ。

・・・今日のBGM・・・
 is this love?/advantage Lucy

2006/12/29 14:38 Fri | edit? | trackback(0) | comment(2)



大学でのハラスメント問題に思うこと

category: ◆essay

大学、とりわけ一流とされているような名の通った大学には、この社会において表現の自由や学問の自由、教育を受ける権利などを擁護し、あるいは日々実現するために、より高い次元で果たすべき役割というものがあるはずだ。

けど、残念ながら、現にそうした大学にお勤めの人のほとんどは、そうした責務を果たせるほど能力が高くない。

学問の現場において学問的関係と離れた社会的権力の強弱を背景に生じる不当なハラスメントの問題は、一般社会がそれらに対する以上に、学問研究やっている人間自らが厳しく接し律するべきもののはず。表現や学問の自由、教育を受ける権利、そういったものが不当かつ理不尽に踏みにじられてるわけだから。踏みにじられる、ということももちろんだが、理不尽てことも重要なポイントである。権利が踏みにじられるということ以上に、その権利が「理不尽に」踏みにじられるということが、学問やってる人間がそれに対して誠実であるべき規範に反するからである。およそあらゆる学問の営みを支えている広い意味での「合理性」と「普遍性」という規範に、である。

けど実際には、大学の内部で下されるそういった問題への判断は、呆れるほどに、情けなくなるほどに、甘い。大学やそれに相当する学術研究や教育の専門機関に身を置く人間が、自らの組織内で自らの組織に属する人間が学問の自由や教育を受ける権利を理不尽に奪うことを黙認してしまったら、大学の外部から学問の自由に対して理不尽に干渉されたときに、一体どういう論理でもって反抗できるというのか。

自治が成立する前提は、構成員が自らを律しうる能力を持っているってことだ。とするなら、僕個人がハラスメントの問題を通じて接してきた人々を見るかぎり、自律がきちんとできているとは思えない人が圧倒的に多い。そして、そのことを黙認している人もまた多い。要するに、大学が自治を認められうる状態には程遠い。

「まあ、でも、世の中そんなもんですよ」というのは理解できる。。けど、それを現に教育を受ける権利と学問をする自由を不当に奪ってそれをほったらかしにしてきた当の大学に自ら身を置く人間が言っちゃオシマイでしょ。(実は、こうしたノリの発言を、ハラスメントの問題を解決しようとするその現場で、解決を調停する重要な立場にいる人物から、浴びせられる現場に居合わせてしまったのだ)

もちろん、こういう問題意識を理解してくれる人も、大学内にいないわけではない。けど、問題のほったらかされ方、隠蔽のされ方、臭いものに巧みに蓋をするやり方の数々を見ていると(これが僕に見えてしまうのは、あちらの方たちの言い分では、僕が過敏で不器用だからだということになるらしいのだ)、問題を本当に問題として認識している人は、少数派なんだろうなと思わざるを得ない。

まあ、でも、理解できる方々がいるのは確かなのだから、絶望する必要はないかな。ちょっとずつでも良い方に変わればいいと思ってる。

(けど、最低限自分一人は乗り込める箱船を、いわば保険代わりに、大学や公的な研究機関の外側でせっせと準備してもいるわけだが。)

・・・今日のBGM・・・
 憂鬱なファーブル/The Boom

2006/12/28 12:17 Thu | edit? | trackback(0) | comment(0)



英文を読む

category: ◆diary

高校生に英語を教えるときに「長文なんかは本文全部読まなくても解けることもあるんだよー」などと言いながら、接続詞と主述関係だけで流れを押さえたり、品詞と構文だけで語順整序したりするような解法を教えている。最低限の単語や熟語を知っている子だと、論理的なつながりを手がかりに読むコツを掴んで解けたときに、とっても嬉しそうで晴れやかな笑顔を見せてくれることも少なくない。数学の問題が解けたときと、たぶん同じなんだな。数学も文法も、超越論的な点ではどっちも一緒で、そういうものを把握したときにはやっぱり発見の快楽みたいなのが伴うようだ。

でも実は、単語は適当に飛ばしつつスキミングしていく読み方というのは、僕自身が英語論文読むときに一番不得意な読み方だったりもする。つい一字一句追いかけて考え込んでしまう。しかも日本語で。偉そうに教えてるくせに・・・。結局、僕はこういう読み方しかしないもんだから理論的なものとか哲学的なものとかしか読めなくなっただけであって、別にそういうものに対して最初から興味とか資質とかがあったからでは全然なかったのだ(じっくり一字一句考えながらでないと読めない、というのを資質と呼べるのであれば話は別だが、これはこじつけだろう)。

けど、地理学の英語論文て、実は理論的なものであっても案外深く考えずにサラッと読むべきものとして書かれているのかもなぁ、と最近思うようになった。あるいは、考え込むにしても、日本語に直しちゃダメかも。もしそうやって、英語でじっくり読んで英語でじっくり考えるような読み方ができたなら、僕はもっと英語の論文から得られるものは大きかったかもしれない。

書かれている内容に応じた適切な読み方というのは、間違いなくあると思います。数十頁を一気に読む方が得るものが大きいものもあれば、一日一段落ずつゆっくり読む方がよいものもある。二度三度読んでやっと理解が深まるものもあれば、一度目の直感で理解してしまわないと決して理解できないものだってあるかもしれない。

(今、友人に教えてもらったウィトゲンシュタイン関係の英文を読んでいるが、さてこの論文はいったいどう読めばよいのか、とても悩ましいところ。)

少なくとも、時々は英語で読んで英語で考えることがなければ、英語(および、文法的にみて日本語よりはどちらかというと英語に近い言語)でものを考えている人の書いたものの理解は深まらないだろうな、ということだけは確かだろな。

・・・今日のBGM・・・
 風がとだえた訳/フリーボ

2006/12/28 00:13 Thu | edit? | trackback(0) | comment(0)



横滑りした言葉の行方

category: ◆essay

二三日前に書いたけど、最近、言葉がフワフワしている。口から吐かれるものも指から弾かれるものも。

目の前に何かモノがあるとする。そのモノに向かって、そのモノに当たるように、その名を叫ぶとする。

「机!」「電話!」「コーヒー!」「柳!」「傘!」

ところが。いくら叫んでも、名がモノに当たらない感じがするのだな。投げる球投げる球すべてが、意図に反して勝手にスライドしていって、ストライクゾーンに入ってくれないのだ。なんなんだ、この感覚。(この文章はまだましだ)

日常的に喋る言葉書く言葉が、こうやって、当てたいところに当たらずに横滑りしていって、どこかあらぬ方向へ飛んでいってしまう。さらに困ったことには、なぜか、そうやって横滑りした言葉達が、また有らぬタイミングで自分自身の所に戻ってきたりする。しかも、大抵は頭上とか足元とか背後から不意に襲ってくるのだ。

だから、最近、人と喋っているときはいつもどこかに「?」がまとわりついている感じがする。そして、人と別れて一人になると、自分の言葉に奇襲されて一人反省会が止まらなくなる。

学会で語りえないものを流ちょうに語りすぎたので、そのリバウンドかも。語れるモノも語れなくなったんだ。罰が当たったのだな、きっと。ちょっとしたコミュニケーション障害である。

しばらく罪を償う日が続くかも知れない。

・・・今日のBGM・・・
 紅茶が少し苦いなんて/Clingon

2006/12/26 11:52 Tue | edit? | trackback(0) | comment(0)



浮遊

category: ◆diary

何かを見つけたと思っても、捕まえられない。言葉が横滑りしていく感じ。論理的に、理論的に、考えられないのが何とももどかしい。

他人に対して話が通じれば通じるほど、他人の話が理解できれば理解できるほど、その度にどんどん孤独になっていく、この感じ。何なんだ。

たぶん、まあ、今日はそういう日なんだな。

・・・今日のBGM・・・
 天才とは/中村一義

2006/12/24 12:49 Sun | edit? | trackback(0) | comment(0)



家庭教師というお仕事

category: ◆works

集団や多数派のルールや常識に、厳密にではなく「なんとなく」合わせるのが苦手な僕みたいな人間には、家庭教師というお仕事は、案外向いているらしい。沢山の良い縁があったとはいえ、家庭教師を生業にしようという強い意志があったわけではないにもかかわらず、これだけ長い間携わってこられたのだから、向いていたとしか言いようがない。

で、今年になってようやく、この仕事がとても楽しいし、悪いお仕事じゃないな、と考えるようになった。で、このお仕事を続けられるところまで続けたいな、と考えてるんだけど、ビジネスとしての家庭教師の難点の一つは、仕事が夜ばっかりに固まるって事と、支払う人とサービスの受給者が微妙に違っているという事。

いわゆる「家庭教師」だけでなくて、すでにビジネス化されている領域の隙間隙間に埋もれているニーズを拾っていって、仕事に出来ないか模索中。

要するに、今ある教育学問のシステムから排除されてるけど、それでも勉強したり考えたりしたい、という人のお手伝いできたらいいなぁということなんかもしれない。

・・・今日のBGM・・・
 Todd Love/Clingon

2006/12/23 23:33 Sat | edit? | trackback(0) | comment(0)



すきまの夜

category: ◆diary

晩もそんなに遅くならず、しかも朝遅くまでゆっくり眠れそうな夜は久しぶりだ。

そんな久しぶりの夜が終わってしまうのが何かもったいないので、早く寝ないで、無駄に起きている。

意味ねーじゃん。さっさと寝ろって。

最近、すっかり考え事が深さを失ってます。いいのだ。どっちかというと今は実践/実戦モード入ってるのでね。

・・・今日のBGM・・・
 Day of the Sun/Husking Bee

2006/12/22 23:17 Fri | edit? | trackback(0) | comment(0)



消えた800字

category: ◆essay

ほぼ終わりまで書いた800字ほどの日記が、mozillaのフリーズで消えて無くなった。

さて。

消えて無くなった800字は、さっきまでは確かにあったのだけど。さっきまであったその800字は、今、「どこに」「いってしまった」のだろう?

さっきまでそれがあったことを知っているのが僕一人しかいない、そう言う種類の事実は無数にある。「僕」を第三人称の代名詞に変えれば、その無数の事実はさらに複数化される。

で、そんな事実が「あった」ということに根拠を与えているのは何なのか。非歴史的な過去、歴史に残らない過去がそれでもあると言えるのは、現に人が生きるために歴史(ないしは記憶)という形の知を必要とする、ということによってではないか(という仮説)。

歴史(ないしは記憶)という形の知が必要とされるなら、そういった知がとりあえずは存在しなきゃならない。そういった知が存在するなら、それは、そういった知ではないものとの違いによってしか識別できないだろう。だから、無数の事実は歴史や記憶から抹消され忘却されるわけだ。忘却されない歴史の方を「図」として残すために、「地」として朽ちていくわけだ。

昨日、大阪市大の西成プラザ開設記念で聴いたレクチャーと、そこで何人かの方と話をしたのがきっかけで、歴史という知のあり方についても、今僕が考えているテーマと地続きで考えられそうな気がした。

僕が携わっている柳原の仕事なんて、まさに歴史を構築する仕事でもあるわけだし。

最初に書いた日記は、さて、何についてどれくらい書いたんだったっけ。思い出せない。

・・・今日のBGM・・・
 Anderson/advantage Lucy

2006/12/20 15:12 Wed | edit? | trackback(0) | comment(0)



仕事のお名前

category: ◆essay

心静かに穏やかなクリスマスを過ごしたいのに、今年はどうも「師走」度の方が高くっていけません。年末年始のご挨拶に抜き刷りの謹呈と、まだまだ地味で手の掛かる仕事がたんまり。

萎える。

昨夜で、一つ仕事が契約満了。変化の激しい生活スタイルだけど、変化の激しさもまたそれ自体が続いてしまえば一つの「変化しない地盤」になるのが不思議。

どんな仕事してるんですかと聞かれて、まだ何かしどろもどろになってしまうのは、世の中に言葉そのものが足りていないからだ。そして、世の中に言葉そのものが足りてないからこそ、たまたま足りている言葉で何とかなっている人が、その外側に出ざるを得なくなったときに、不必要に不安に駆られるのだ。

心配ないんだよね。僕自身もかつては気付いていなかったけど。目の前で必要とされていることに、適当な呼び名が無くったって、それをしてくれる人を必要とする人がいる限り、それが仕事であることには変わりないんだから。

自分の仕事に名前があるかないか、「自分の仕事は○●です」と言えるかどうかじゃなくて、自分のしていることが誰のニーズに応えるものなのか、誰に必要とされているのか、てことの方がよほど大事。ここでの「誰」が不特定多数の誰かさんたちか、今目の前にいる特定の誰かさんか、そんなこともさしあたっては問題じゃない。

この感覚さえ忘れなければ、変化の激しい不安定な就労・経営状況でも、たぶん精神的な軸まで不安定にならずにやっていけるんだろうな、とは思う。

いや、まあ、それこそが難しいわけなんだけどね。

・・・今日のBGM・・・
 手紙/Clingon

2006/12/19 11:51 Tue | edit? | trackback(0) | comment(2)



鳥を待つ

category: ◆diary

そして今日のお昼もがんこにてお寿司。燻製もそうだけど、病的なはまり方だな。精神か身体か何かのバランスがちょっと壊れてるのかも。

柳原にまたジョウビタキが渡ってきた。今年も雌鳥。雄は二年ほど見かけない。レンジャクも二、三年前以来見てないけど、これは元々この辺りに滅多に来る鳥じゃないので致し方ないな。カワラヒワもシジュウカラもあまり見なくなったけど、これはどっちかというと、僕にまわりを見るゆとりが無くなってるせいかもしれない。

研究はいい具合に休養期間入りできた(=やる気が出なくなった)けど、スケジュールそのものは年明けるまできっかり埋まってる感じ。

・・・今日のBGM・・・
 New Shoes/PLECTRUM

2006/12/18 15:38 Mon | edit? | trackback(0) | comment(0)



寿司

category: ◆diary

今月三回目の寿司に行って参りました。一度目は忘年会、後の二回は勝手に一人で。

どうも、完全に、寿司嫌いは治ったっぽい。まだスーパーとかデパートのパックの寿司やいなり寿司には手が出ないけど、自分で決めた店に入った場合は、きちんと楽しめるまでに成長いたしました(今日は盛り合わせにいなりも出たのでフツウに食べましたが)。

ちなみに、好きなネタはトリ貝とシャコとアナゴ。

これからちょっとずつ勉強&開拓の日々です。家の近くにはなぜか寿司屋が多いので、近くで気楽に暖簾くぐれて落ち着ける良い店見つけたいところ。

・・・今日のBGM・・・
 都合により流浪/タイライクヤ

2006/12/17 20:40 Sun | edit? | trackback(0) | comment(0)



確信犯的に政治的無関心

category: ◆essay

不慣れな土木作業のせいで腰が痛い。

ミハイ・チクセントミハイというすごぉく変わった名前の研究者さんがいる(アメリカ人のようだが、名前から勝手に想像するに、ルーツはハンガリーかチェコあたりではないかという気がする)。名前は前に目にしたことがあって知っていたが、つい最近、どんな感じのことを考えていたのか、というのを知った。以下は、その彼の提唱したフロー理論の紹介文をアマゾンの内容紹介などでちらっと読んで、思いついたこと。

人間が何かに夢中になって楽しさを感じるときというのは、ちょうど自分の能力に鑑みて適度な難易度の課題が目の前に立ちはだかっていて、その目の前の目標を次々に追っかけていくようにして物事に没頭していくときである、と考えることにする。

僕自身の経験で言えば、目の前のボールをどうにかする、ということがちょうど自分の実力に見合っていれば、だいたい楽しくて熱中することになる。テニスでそういう状況になるためには、それ相応の相手が必要だ。ビリヤードなら相手はいらないが技術的に高望みばかりしてるとすぐ飽きる。ボールと無関係な分野では、最近のことだと、数学の勉強や燻製づくりにはまったのも、ちょうどそういった感じのプロセスだった。

さて、では、もし、人間が何かを楽しいと感じているときには、必ずそうした原理が作用している、とすればどうなるだろう。つまり、何かが楽しいと思うときには、自分の持っている資源や能力を駆使して達成可能だが、決して簡単すぎず難しすぎず、という課題が必ず伴っている、と。これは、逆に言えば、適度な難易度の目標をうまく設定できない限り、人間はそれを楽しいとは思わない、ということを意味することになる。

世の中には沢山やるべきことがあって、その中には、最終目標を達成するまでの間に適度な難易度の目標を段階的に設定しやすいものもあれば、最終目標があまりに途方もなさ過ぎて合間合間ににちょうどいい具合の課題を挟んであげることが難しいような問題もある。

社会のレベルでは何が達成されるべき課題かが火を見るより明らかで、そのために現段階で社会として取り組むべき適度な難易度の中間目標もはっきりしていたとしても、それを個人の行動に視点を移したときに、個々人の目先の課題が何であるのかが全くもって分かりにくかったり、あるいは目先の課題とされていることが途方もなく困難であったりするということはありえそうだ。だからこそ、ある種の社会問題はなかなか解決しないんだろう。(貧困を撲滅する、というのは課題として分かりやすい。けど、やがてはその課題につながっていくような、しかも自分の能力を超えない適度な中間課題というのは、なかなか簡単に見つかるもんじゃない)。

あるいは、そもそも「社会として達成すべき課題」に対して個人の行動にまで落とさなくても「社会として達成すべき適度なレベルの中間目標」そのものが、そもそも見つかりにくいのかもしれない。現に政治家や役人は、個人としてそうした社会的なレベルでの課題を設定したりそれに取り組んだりするわけで、このレベルでの困難さというのも想像に難くない(政治家や役人そのものが悪いのではなくて、誰が政治家や役人になっても同じように難しいのだろう、と思う)。

(個人の行動原理からの類推でもって、社会システムの作動を云々することの是非はさて措く。けど、この問題を措くというのは、今思考していることにとって致命的欠陥のようにも思うが…。それと、ここでは、人間の行動を動機づけるものは快楽である、という前提で考えている。これは、全ての個人に妥当しないにしても、全体的にはそう考えておいても問題がない、という理由によってではない。むしろ、僕にとってはちょっとした道徳的要請みたいなもんなのだ。その道徳とて、それに従うことがある種の快楽につながるからこそ人は道徳に従うのだ、と僕は考えることにしている。)


そんなところで、たとえば僕が「差別を無くしましょう」というスローガンを見るたびに感じるあの独特の「気分」に、一つの形を得ることが出来て、ちょっと落ち着いたような。

差別する人、権威主義的な人、ダメな政治家、道徳観念に欠ける役人、分不相応に無知なマスメディア関係者…などなどに対する偏見むき出しの「差別意識」と怒りにも似たような「攻撃性」というのは自分自身持っているわけです。そこを上手に相対化してやるのが難しい、という僕個人の課題と、社会から暴力や差別や貧困を無くす(少なくする)ことの困難さとは、僕の世界において同根なのかもしれない、と感じる。

攻撃性と怒りをエネルギーにしない、というのも、楽しい活動へと没入していきつつも健全さを失わないための指針の一つにはなるかな。(そうは言いつつも、今年もまたこの四龍板でいろんなものを攻撃してしまったが…)

・・・今日のBGM・・・
 さらばユニヴァース/スピッツ

2006/12/16 18:03 Sat | edit? | trackback(0) | comment(2)



見て見ぬ振りと見て見ぬ振りしてない振り

category: ◆essay

結局、僕が見ているものは僕が見たいと思ったものだけなのだ。

見るべきものを見ているのではなくて、見たかったものが見るべきものだったと言うだけなのだ。

だから、たまたま見たくて見ただけのものが見るべきものであったからといって、そのことを盾に「なぜ人はこれを見ないのだ!」と見ない人を責めてみたところで虚しいだけなのである。

さて、ほぼ第一人称を主語にして書いたのだけれど、僕の気分としては、主語の人称は第二人称でさえなければ別になんでもよい。

三つの人称のうち、他と決定的に異質なのは、第一人称ではなくて第二人称だ。第一人称は、ちょっと特殊な第三人称にすぎない。
________

フランシスコ・バレラって思想家としてはともかく科学者としてはどうだったのかな。たとえば僕みたいに、科学も哲学も専門としない人は、いったい何を判断の根拠にしてオートポイエシスと疑似科学の違いを見分ければよいのだろう。最近のちょっとした悩み(の比喩表現、だな)。

2006/12/15 23:41 Fri | edit? | trackback(0) | comment(0)



見栄

category: ◆musics

新しいCDをいくつか手に入れた。CD買ったのは久しぶりだ。

髪型や髪の色を変えたときとか、新しく服を買ったときとか。そんなときと似たような気分が一瞬だけふわっと体を駆けめぐった。

そうか、ポップ・ミュージックって言うのは、そういうものなのだな。何をいまさら。

散財していないつもりなのに財布の中が極寒なのは、散財しているのにそのことに気がついてないせいだ。気付いたらいつの間にか冷蔵庫は燻製とその材料でパンパンになっていた。

・・・今日のBGM・・・
 ローラの方法序説/carnation

2006/12/15 21:31 Fri | edit? | trackback(0) | comment(0)



星の友情を信じるかい?

category: ◆essay

あー、よくないなー、しんどいなー、不健全だなーとか思いつつも、進んで起爆装置のスイッチを押す気にもならないので、だらだらほったらかしにしてる。

それでやり過ごしている内に偶然問題そのものが消えて無くなることもあるけど、そうやってやり過ごそうとしている限りは問題がなくなってくれることはあり得ないという場合もある。

今のこれはどっちか分からないけど、とりあえず、この件に関して悩むことが僕の役割ではないはずなので、ほったらかしにすることを選択している。

まあ、そうは言ってもそんなに最悪ってわけでもなさそうだし。

なんか、いろんな具体的状況を読み込めそうな感じの意味深な言葉達になってしまっているが、ささやかな問題です。ささやかだからこそ、指のささくれのように気になって仕方なかったりするわけで。

不幸なニアミスにせよ絶望的な隔絶にせよ、人と人の距離って、まあ、とかく難しい問題なんだけど、この「距離」ってのは何なのでしょうね。時空間の上での距離でないことは確かなのだが、どう言えばいいのやら。最近お気に入りのメタファーは「宇宙」、あるいは「星」。

まあ、ともかく、うまく愛せていますように、と祈るよりほかはないような。

・・・今日のBGM・・・
 ガーベラ/スピッツ

2006/12/14 22:54 Thu | edit? | trackback(0) | comment(0)



監視カメラ

category: ◆diary

昨夜は京都泊。

昼、京都駅から柳原に向かって歩いていると、電柱という電柱ほとんど全部に監視カメラが取り付けてあることに気がつく。いつも大阪の「あの町」を案内するときにはついつい紹介する監視カメラであるが、別に「あの町」の専売特許てわけでもなかったようだ。増えてるんだね。監視社会の先兵さん。

連日の酒宴が体に堪えるようになったお年頃。明日もまた京都で飲み。お寿司屋さん。楽しみ。せっかくなので、甘いものもついでに。パパジョンズかキルフェボンか。

・・・今日のBGM・・・
 夢追い虫/セロファン

2006/12/12 15:27 Tue | edit? | trackback(0) | comment(0)



別の宇宙

category: ◆diary

この日はエヴェッサの試合を観に行こうと思っていたのだけど、成り行きで市立科学館に行くことに。で、行って正解だった。すごく面白いとこでした。

cocoroomで「科学とアート」という怪しげ(?)なキーワードにて組まれたイベントの一環だったんですが、実際には行ってみんなでそれぞれ見て動いて楽しんでおしゃべりして、という流れで、イベントと言うほどの枠もなく。

プラネタリウムは久しぶりに見ましたが、安倍晴明にちなんだ上映プログラムだったせいもあって、南半球の空を見られなかったのは残念。常設展を見たかったのに特別展だった、て感じの肩すかし。でも、安倍晴明と平安時代の天文観もそれはそれで面白かった。二十八宿のお話とか。

実を言うと、大学受験に失敗したら、理転して天文学に関すること勉強したいなぁと思っていた地学選択の文系男子。一歩間違っていたら、今頃安倍晴明がどうたらこうたらとか言ってたのかもしれない。

それもまた別の宇宙の話。エヴェッサはいつになるのやら。

・・・今日のBGM・・・
 Cosmic rays/Husking Bee

2006/12/10 21:43 Sun | edit? | trackback(0) | comment(0)



牡蠣

category: ◆diary

昼に、釜ヶ崎のまちを案内しているときに、突然胃の調子が悪くなったけど、何とか任務完了。胃薬で治ったので、多分今流行ってる何とかではないと思いますが、二日前、確かに牡蠣鍋食べたっけな。

晩の家庭教師がキャンセルになったので、是幸いとばかりに家に帰って療養・・・すればよいものを、スーパーで干物が安かったのでついつい買ってしまう。しかも、こりずに牡蠣まで。

今から燻蒸します。

携帯の履歴を見ると、着歴の方がリダイヤルよりも古かった。ここんとこ、珍しく社交的だったみたい。だいたいいつもは待ち専なのに。

・・・今日のBGM・・・
 Back in My Town/PLECTRUM

2006/12/09 20:52 Sat | edit? | trackback(0) | comment(0)



超越論の品評はなぜ可能か

category: 未分類

今日、実はこの世界には偶然しかないのではないか、という仮説を思いついた。必然的な関係と思っている関係も、実はその都度偶然に成立しているにすぎない、と。

超越論の中にも、美しい(あるいは気の利いた)超越論とそうでない超越論てのがあるような気がするんだけど、今日のそれがいずれなのか別として、もしそんな区別があるならそれはすでに超越論じゃないはずなんだけどなぁ。

久しぶりに数学のトレーニングした。無理関数と逆関数と合成関数の問題。この分野と併せて指数関数と対数関数はどうも苦手。

・・・今日のBGM・・・
 ROSE GARDEN/carnation

2006/12/08 18:47 Fri | edit? | trackback(0) | comment(0)



まいった

category: ◆essay

独在論的な<私>と、述語的統一としての「私」が一緒なら、純粋経験とか絶対無とか場所とかは、要するに同じようなものを指し示している概念なわけで、そうすると、偶然にも僕は「場所の発見」という言葉を使ったんだけど、それは僕の当初の思惑に反して単なるラベルでは済まされない話になってくるな。

とすると、場所とか地域とか地名とかがいかに固有性を持つものだとしても、それは結局どうやっても到達できないところにある固有性でしかないってことになる。

そんな固有性を有るというのか、あるいは無いというのか。この選択が、単なる趣味と倫理の問題に解消されないとしたら、その先にどんな問題があるのだろうか。

日本語というのは、すごく希有な「場所」だ。主述関係を踏み外さないようにも表現できるし、その関係を踏み外さなければ表現できないような状況も無人称的に表現できるし。

またよりによって、「哲学のエッセンス」シリーズの西田幾多郎の巻の担当者がなぜ永井均さんなんだ、と嘆いてもしかたないのだけど。この嘆きの意味が他人に理解されるような気が全くしないんだよなぁ。

しかも、この本読んで思い出したんだが、そうそう、「自己と他者」ではないんだよな。「私と汝」なんだよね、西田幾多郎は。これまた肉感のある日本語だこと。

ま、そんな感じで、学会終わって一月近く経とうというのに、未だに言葉の怨念みたいなのに取り憑かれてます。その他の仕事も、まあ、順調なのが救いかな。

・・・今日のBGM・・・
 恐くはない/トルネード竜巻

2006/12/07 14:54 Thu | edit? | trackback(0) | comment(0)



月は ちんがり わらう

category: ◆essay

小学校の時に国語で『盆土産』(三浦哲郎)という作品を読んで、とても印象に残っている擬音語がある。お盆に帰省した父親が土産に買ってきたエビフライを食べるシーンだ。

主人公の少年の口の中で、エビフライは「しゃおっ」という音を立てるのだ。

この作品以来、それまではただのおかずだったエビフライが、僕にとっても特別な食べ物になった。主人公の少年よろしく、エビの尻尾も残さず食べるようになったのも、これがきっかけだった。

もう一つ、小学校の教科書に載っていた作品で、お月様をチーズだと思って食べたがるねずみのお話が載っていた。タイトルもストーリーはほとんど覚えていなくて、じゃあ何で記憶に残っているのかというと、そのお話の中で、お月様の笑い方がとても印象的だったのだ。どう笑うかというと、チーズを食べたくてもんもんとするねずみを見下ろしながらまん丸のお月様は「ちんがりわらう」のだ。

日曜の朝、尼崎から歩いて帰る道すがら、西の空に沈みかけていたお月様はそれこそ黄金色のチーズみたいに輝いていた。お昼に買って食べそびれたチーズ入りのフランスパンをかじりながら眺めたその月は、確かに「ちんがり」笑ってた。

その日の研究会でも、「やまとことば」が鍵ですね、という話になった。個人的にも、「みもだえ」、「ものごし」、「てざわり」、といった言葉を抜きに、今回の発表を構成できなかったように感じていた。「苦悶」、「態度」、「感触」だけでは語り足りない感じ。

翻訳でしか哲学の文章を読めない僕は、どうしても「やまとことば」が知らず知らずのうちに読み解くための鍵になる。たとえば、ウィトゲンシュタインが、「認知の叫び」について、それが「単なる視覚体験の報告ではない。それはいわばわれわれから漏れ出てくるのだ」というときの、「漏れ出る」という語。

でも、逆かもなぁ。「やまとことば」からしか哲学の手触りを理解できないが故に、翻訳書や日本語で書かれた哲学書でないと読めないのかもしれない。西田幾多郎さんはさっぱり分からなかったけど。

・・・今日のBGM・・・
 北風オーケストラ/GOMES THE HITMAN

2006/12/05 10:34 Tue | edit? | trackback(0) | comment(2)



地下活動

category: ◆essay

最近、研究でもそれ以外の仕事でも、地下活動という言葉がよく鍵になる(ほとんどの場合は、僕一人の内面においてですが)。

至ってまともなんだが、まともであるがゆえに、まともに語られてしまうと胡散臭くなったり、何か大事な部分がぼやけてしまうような、そういった考えだとか振る舞いだとかが、ある。

抽象的な言葉で的確に表現するのが難しいのだが、要するに、市民運動やボランティア活動、教養系の学問や芸術活動なんかが、自ら自身の価値を肯定的に語った(語りすぎた)ときに生じる、独特のノイズみたいなものを想定してもらえると、ちょっとは分かってもらえるだろうか。

こういったものが人類とともに生き残っていくべきものなのかどうか、という問題を敢えて括弧に入れて、それが生き残るとすればどういう形でか、という問いにすり替えてみる。

すると出てくる答えが、地下活動、なんだな。

公共圏(つまり表の世の中)全体がそれとして善でも悪でもないとすれば(ここポイント)、地下活動もそれ自体としても良くも悪くもない。ただ、公共圏に存在することが許されていないものや、公共圏に存在の場を得た途端に何か元の姿を失って別のものに変わってしまわざるをえないようなものも、それらがやはり存在するからには、公共圏以外のどっかには存在しているわけだ。

ただ、「どっか」とはいったものの、地下活動が地下活動として残っていく時に、一番の要点となるのは、公共圏が公共「圏」という形で空間性を構成するのに対して、地下活動の方は「圏」のような空間性を構成しないだろうと、いうこと。なぜかというと、空間性を構成してしまうと、その瞬間に統制可能なものとなって「公共圏」に取り込まれるからだ。

地下活動がまさに地下活動として成立している時に、何が一番効いているかと言うことを振り返ってみると、皮肉とかアイコンタクトとかそういったのが鍵になってる。要するに、時間の次元と一緒に理解しないと意味をなさないようなレベルの空間性であれば、まだ今のところは十分地下活動も成立しうるってことだ。今の世に成立しているあらゆる「公共圏」にとって、時間の次元はまだまだ空間の次元と比べて統制されている度合いが低いように感じる。

(これはまだ問題含みの見解。間違っているかも知れない。今のところ、いついかなる時でも誰にも見られることのない地点、と、いついかなる場所でも誰にも見られることのない瞬間との対比の上で判断している。問題は、前者の「時」は既にして空間化されているが、後者の「瞬間」はいまだ空間かされきっていない要素を持っているように思われる、ということ。そして、時間は「未来」あるいは「死」というものと結びついている限りで、やっぱり空間よりも統制が難しい次元であるように思う。)

けど、いずれそういった瞬時の表情や身体的所動とともにあるようなミクロレベルの時空間性までもが記号化・コントロール可能なまでに統制されてしまったら、地下活動はどういう形で成立するんだろう。もしも、あらゆるスケールの時空間が記号化し制御可能になったとすれば、目の動き表情の動き声の抑揚を含めて、物理空間に痕跡を残さざるをえないあらゆる地下活動は、地下活動たりえなくなる。その時が、地下活動そのものが完全に不可能になるときだとしたら…。

その次に起こるのは、あらゆる人間活動の地下活動化だろうな。人類そのものが公共圏から排除されるんじゃないか。その時に公共圏を支配するものが何かは分からないけど。

いずれにしても、超越的なものの側から見たら、超越的でないものの営みは、どこまでいっても地下活動にすぎない。そして、人間はどこまでいっても多分超越者の側には立てないのに違いない。(生きることを絶対に人間が勝てない神とのゲームに例えて、人間ができるのは神の得点をなるべく低くすることだと言ってのけた数学者エルデシュのエピソードを思い出す)。

・・・今日のBGM・・・
 C・A・F・E/PLECTRUM

2006/12/04 16:35 Mon | edit? | trackback(0) | comment(0)



一人事業主の一人忘年会

category: ◆drink

昨日研究の仕事が一段落ついたので、ちょっと自宅で軽く一人飲み。打ち上げ兼、忘年会でもあるな。

smokes


チーズ天とチキンレバーとクリームチーズを燻製にした。レバーは、見た目はよいものの、昨日の帰りが遅かったせいでがっつり塩に漬かってしまい、ちょっと塩辛い。チーズ天は、表に油がついているせいか、スモークしてもあまり香りがつかない。結局、チーズが一番良い出来だった。レバーは塩加減さえ決まれば大丈夫。

今日は、他にも合鴨のモモ肉と骨付きラムを仕入れたので、またいずれ。クリスマスにはぜひウズラか雉か七面鳥で挑戦してみたいところ。

・・・今日のBGM・・・
 Fairview~眺めのいい景色/トルネード竜巻

2006/12/03 21:06 Sun | edit? | trackback(0) | comment(0)



尼崎~弁天町深夜徒歩の旅

category: ◆diary

geos

尼崎で宿をとる地理学者達。


この数時間後の深夜に懇親会が終わって、宿を予約しなかった僕は、何を思ったかタクシーにも乗らずに2時間半歩いて、朝の五時半に弁天町まで帰ってきた。研究会と懇親会が実り多すぎて、頭さます時間でも欲しかったのでしょうか。10km以上連続で歩くことなんて普段ないので足がぱんぱん。午後、バスケットボール観に行こうと思っていたのだけど、ちょっとしんどいのでまたの機会に。

これで一連の研究活動は一段落。しばらくは焦らずのんびり気楽に考え事出来るなぁ。

浦和優勝したね。おめでとうございます。で、川崎が二位でC大阪が陥落か。福岡にとってもG大阪にとっても、あの引き分けの意味は大きかったわけだ。それにしても、G大阪も浦和も強くなった。Jの創始期からは想像もつかないよな。学ぶべき所沢山あるはず。

2006/12/03 14:10 Sun | edit? | trackback(0) | comment(0)



準備終わり

category: ◆diary

なんだかんだ言っても最低限の準備はいるわけで、それやってる内に最低限で済まなくなってきたような気もするんだが、とりあえず完成。

http://fortune.goo.ne.jp/horoscope/taurus.html

こういうタイミングで↑こういうんは、救われる気持ちする。

さて、早く寝よ。今日作ったもん明日コピーせにゃならんし、せっかく神戸行くんだから早めに出かけて甘い物食べたいし。

2006/12/02 01:52 Sat | edit? | trackback(0) | comment(0)



夕飯に感謝

category: ◆diary

全般的にさえない一日で、もう夕飯に何か食べようという気も失せかけてて、それでも何とかギリギリの気力を絞って暖簾をくぐったお店の定食が、本当に美味しかった。

店出る間際

僕「美味しかったです!」
大将「おおきに!」

そうそう。今日足りなかったのはこういうやり取りだったのね。だから冴えなかったんね。

人間、ちょっと幸せになるのに本当に低コストですむもんだな、と思った瞬間。同時に、低コストですますためには、運に恵まれてもいないとだめなのかもな、とも思ったわけだが。その運をコスト計算に入れるのなら、やっぱり高コストと言えなくもないか。しかも可算である範囲を超えるほどの高コスト。

ならば、感謝するしかない。

明日は発表だけど、もう周到に準備しないで望むことにした。今回の発表は依頼を受けてのものだけど、このコンセプト、自分独りで準備できる範囲を超えてるよ、明らかに。

・・・今日のBGM・・・
 夢寝 moovie/corner

2006/12/01 22:58 Fri | edit? | trackback(0) | comment(0)






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geophile
フリーランスの地理学者です。ひとり家庭教師派遣業のほか、NPOやコミュニティビジネスをターゲットに、ひとり人材派遣業もやってます。

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