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メンタルマップ

category: ◆geography

通常、地理学周辺でメンタルマップというと、地表空間の主観的な認識を地図化したものや、自分を中心にして広がる空間の主観的な認識とか、そういったことが連想されるのですが・・・。

今思いついたのは全くそれとは違っていて。

この世界に複数の人間がそれぞれに固有の脳をもって存在していて、その脳はその時その場所それぞれにおいて、さまざまな「心的状態」になる。

そのさまざまな心的状態は、それぞれにその「心」=「脳」の環境と関係しながら成立している。そして、その「環境」には、他の「脳」=「心」も含まれる。

その「脳」=「心」と環境のネットワーク全体を総体として、「メンタルマップ」と呼んでみてはどうだろうか。

そこにはおそらく、これまでに使われていた意味での「メンタルマップ」も含まれることになると思うのだけど。

・・・今日のBGM・・・
 残像/セロファン

2009/09/12 02:07 Sat | edit? | trackback(0) | comment(0)



自己紹介

category: ◆geography

記事の数がしらん間に1600を越えていた。

さて。

地理学をやってますと(やや仕方なしに)言うと、あるいは既に地理学をやっているというのを知った上で、「地理学でどんなことされてるんですか」という質問を当然のように受けます。

ここ1年くらいでしょうか。「地名に関心があるんです」とはっきり答えられるようになった。

そして、その後の会話がほぼ完全に決まったパターンに従うことも分かってきた。必ずこう聞かれるのである。「とすると、例えば、地名の由来とかを研究されているのですか?」

答えはNOなので、最初はそこから先の説明が面倒くさかったりして、「地理学をやってます」という会話にならないような気配りをずいぶんしたもんだけど、最近は頑張ってその先を説明する努力を怠らないよう心がけています。

「地名の由来の歴史的なことを調べるわけではなく、地名を哲学的に考えることに関心があるんです」

すると、「何やねん、『哲学的』ちうのは」というリアクションが想定されるので、たいてい先手を打ちます。

「例えば、ある適当な言葉、何でも良いんですけど、『都島』『宗右衛門』とかが、人々の使っている言葉のルールの中で、どういう条件を満たしたときに地名とみなされるのかってことに関心があるんです」

「理論的な見通しはまだないけれど、街や集落が共同体とともに新しく誕生したり再生したりするときというのは、その街/共同体に対して付けられた名前の用いられ方が変化しているということを意味していて、そのことは言い替えれば「ある街が再生されるとすれば、その街の名前はどのように用いられていなければならないのか」に対する見通しをも与えてくれるんじゃないか、という気がしています。

経験的には、新しい変化が起きているときと言うのは、話者(第一人称)に対して場所が第三人称的な一ではなく、別種の第一人称として現れる場面が多くなるように感じます。逆に言えば、ある場所がなぜかいつもほぼ例外なく誰からも第三人称で語られるときというのは、それがいかに変化を記述するモノであったとしても、本質的な意味で変化は起きていない。

変化ってもんは常に「今」生じているものですから。第三者的に記述可能な変化ってのは、種類の異なる過去が二つ並んでいるというだけのことに過ぎません。AがBに変わったといいうるためには、Aが突如消えてBがその瞬間生まれたのではないと言えなくてはならない。そのためには、AとBが同じモノであったということを確かに知る必要がある。

だからホントの変化は、常にそのAとBの間にいる視点からしか報告されない。

まちづくりとかコミュニティ再生というものが、まちを新たに作る(作り直す)ことに関わるのであれば、それは当然変化を含むプロセスであるので、その変化を的確に語る際にはおそらく変化している当のものを第一人称的に、つまり自分自身として語る場面が必要とされるはずです。

学術研究がおよそ地名を持つものについて的確に語ることが出来るかどうかは、地名をそうした第一人称的な使い方において文に組み込むやり方をどうのように編み出していくかにかかっているのかもしれない、などと思うんです。」

もちろん、自己紹介でこんな長い話するわけではないけど、地理学を一人称的に語る姿勢を意識しつつ、こうした話を面倒がらずに誠実に紡いでいくのは、今の僕にとってはわりと大事なことかなと感じます。

・・・今日のBGM・・・
 Anderson/advantage Lucy

2009/09/08 17:23 Tue | edit? | trackback(0) | comment(0)



<私>と地図と貸金庫

category: ◆geography

社会的な次元で、<私>の同一性を成立させているものは、<私>に与えられた名前ではなく、<私>が特定の場所に与えた名前=地名であるのではないか、という疑念が、職場の同僚から借りたグレッグ・イーガンの「貸金庫」という作品を読んでいてますます強くなった。

地図と金庫。つまり当面<私>の身体であるところの物体を超越し、かつその外部を持たないような空間である「宇宙」(つまり、地図)の内部で、特定の位置を常に特定の名前において指し示すと経験を持つこと(つまり「貸金庫」の場所は、昨夜記録をしまった貸金庫の場所と、同じ地図=宇宙の内部で同じ位置にある限りにおいて、同じ場所であるとみなすこと)。それこそが、特定の名前も同一の身体も持つことのない彼の人格に対して、通常の人格しか持たない人間にも理解可能な人格的同一性を与えているのではないか。

これ、ウンベルト・エーコの『記号論』に出てくるアウストラ・ロピテクスと石の話にも通じるかもしれない。

たまたま僕と出会ったときにジョン・オリアリーだった彼が、僕のような読者にとって理解可能な生の形式の持ち主になるための仕掛けとして、本当に地図が決定的に重要な役割を果たしているかどうか。もっとじっくり考えてみる必要はあるけど。

一本、書けるかも…。

ところで、グレッグ・イーガンの本は、僕が永井均さんに影響を受けたという話をしたところ勧められたものなのですが、最初は確かに初期の永井哲学に似た空気だなぁと感じたんですけど、幾つか読んでると、パーフィットとかデネットの方が似た匂ひがする気がします。数学者っぽい匂い。デイヴィッド・チャーマーズとは生まれた国も年も近いし、元々数学やってたという共通点もあるんだなぁ。

・・・今日のBGM・・・
 外では雨が降るけれど/MARS EURYTHMICS

2009/07/14 23:40 Tue | edit? | trackback(0) | comment(0)



50頁

category: ◆geography

久しぶりに、学術書を読む。

時間がかかるのはしゃあないし、こつこつゆっくり着実に歩んでいこうと、そんな思いを新たにした。それくらい、時間がかかって当たり前の大きな問題に、首を突っ込んでいるようだ。

長生きしなきゃなぁ。

・・・今日のBGM・・・
 君はまだMISSかい?/トモフスキー

2009/06/19 23:03 Fri | edit? | trackback(0) | comment(0)



自閉症と地理学

category: ◆geography

世界を世界として認識するときに、「世界」という閉域が一つ出来上がる。その外側に対する態度として、プラスの態度とマイナスの態度というものが考えられる。

プラスの方は、好奇心とともにあるような開放的な態度。マイナスの方は恐怖心とセットになった自閉的な態度。

この二つの内、地理学というのは、確かに後者と親和的だ。これは元々友人の指摘。最初、その考えを聞いたとき、それは違う(前者だ)と思ったのだが、違うと思ったのは彼の言葉尻だけの問題で、帰宅した後本質はその通りだという考えに逢着したのだった。で、以下、言葉尻の違和感を修正した僕なりのまとめ方。

西洋の世界というのは、前者の態度をマルコ・ポーロやコロンブスやクックのような人に代表させつつ、後者を地理学者に担保させることでバランスをとってきた世界、と言えるかもしれない。

で、マイナスの方の恐怖心は、どのようなメカニズムを経て解消されるのか。単に内側に引きこもることによって、ではない。この辺がフクザツ。マルコ・ポーロや、コロンブスや、クックが(あるいは、それが史実と異なるなら、そのさらに先駆者達が)ついついリアルに発見してしまった世界の外側に足を踏み入れて、分節化し、名前をつけて、知識としてストックすることによって、である。言い替えれば、端的に世界の向こう側(かなた)でしかなかった世界を、「そこ」や「あそこ」や「むこう」などに分節化することによって、である。そのためにこそ、引きこもるのではなく、外に出ていくのだ。そして、名付け分析し記述するという一方的な関係を取り結ぶわけである。

自閉というのは、単に閉じるだけという単純なもんではない。一見、外への関心が高く社交的に見えても、実は根本が一方的関係であるということは割と珍しくいことではない(そういう意味で、人間や社会に関する知についていえば、日本のアカデミズムはかなり自閉的であると言えそうだ。しかし、本当に自閉的なのは西洋の学問なのかもしれない)。

特定の言語圏単位での社会について、その社会に特有の地理思想(自閉傾向?)を分析してみようとするときに、その社会が外部の土地にどのような地名の付け方をしてきたか、外部の土地をどのように知識に変換してきたか、ということに注目してみるのは、意味のあることかもしれない。僕には語学レベルでその能力はないけれど、いずれ語学レベルを有した人がそうしたことに気がついたら、時間の問題で解明されることかもしれない。

外の世界に対して一方的に自らの言語世界内のルールに合う名前を与えてきた世界と、外の世界には外の世界用の表記文字を開発するような世界とでは、地理学が同じであるはずがない、と思う。というより、地理学は前者の世界で生じたもので、後者の世界にどのような地理学があり得るのかは、いまだ判然としていないように思われます。

2009/01/24 03:51 Sat | edit? | trackback(0) | comment(0)



自閉症の地理学

category: ◆geography

世界は程度の差はあれ、全く閉じていなくて完全に解放されているわけにはいかないだろう。多かれ少なかれ人は自閉症なのではないのかな。

ウィトゲンシュタインの哲学が、自閉症的世界の自己表現だという話は、すごくよく分かる。なんでよく分かるかというと、僕にはその世界観がすごくよく理解できるような気がして、しかも僕自身が自分に自閉傾向があることを自覚しているから。

けど、ここに挙げたよく分かる理由って、みんな自己準拠的というか、全部僕の自覚に発している。第三者の判断が入ってないのね。

それもまた自閉症的なのかどうか。

自分の世界を自己準拠的に閉域化するという、自閉的な操作をしないかぎり、地名というものは成り立たないような気がします。そういう自閉的操作が出来ない人は、おそらくかなりの方向音痴になるはずです。

引き続き申請書書いてますが、相変わらずこういうのは苦手です。文章を用途目的に応じて割り切って書く能力が、無いわけではないのですが、申請書というのはどうもついつい楽して書こうとするとウソか無内容になるのが気になって、時間がかかってしまう。この辺の割り切りのきかなさにも、自分のアスペルガー的傾向は発揮されているように思えてなりません。

・・・今日のBGM・・・
 New Morning/carnation

2009/01/19 10:17 Mon | edit? | trackback(0) | comment(0)






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泉谷洋平
フリーランスの地理学者です。ひとり家庭教師派遣業のほか、NPOやコミュニティビジネスをターゲットに、ひとり人材派遣業もやってます。